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2004/10/23

北京原人の頭骨を巡る謎とピルトダウン人事件

北京原人:頭骨化石、米軍撃沈の阿波丸にあるか--中国、再び引き揚げ挑戦 以下はMSN-Mainichi INTERACTIVE アジアからの引用です。


【北京・共同】太平洋戦争末期の1945年4月、台湾海峡で米軍潜水艦に撃沈された日本の大型貨客船「阿波丸」に北京原人の頭骨化石が積まれていた証拠があるとして中国が来年、海底に沈んでいる阿波丸を再度引き揚げて頭骨を探す準備を始めた。新華社電が9日、伝えた。
 50万~20万年前と推定される北京原人は脳の大きさから現代人と猿人のほぼ中間とされるが、頭骨は66年に発見された後頭骨と額の骨だけが残存。30年代に北京郊外の周口店で発見された五つの頭骨は41年に行方不明になっている。
 北京原人の専門家で引き揚げ計画にも加わる李樹喜氏は、具体的な「証拠」については言及しなかったが、米国政府から提供された資料を分析した結果、阿波丸に頭骨が積まれていた可能性が高まったと指摘。撃沈から60年を迎える来年、これらの資料を公開し、引き揚げ作業を行うという。
 李氏によると、77年の作業時に日本が建てた満州国の秘蔵品も見つかっており、このことからも日本が貴重な頭骨を持ち帰ろうとしたと考えられるという。
 中国は77年、阿波丸の引き揚げ作業に挑んだが、潜水技術が未熟だったため頭骨は発見できなかった。今回は専門家が政府と民間の協力を得て万全の態勢で捜索する。行方不明の頭骨は、米国人医師が保管のため持ち帰る途中、旧日本軍が中国国内で奪ったと推測されている。

 それからこんなニュースも
・北京原人:骨発見へ再調査 中仏共同で

 北京原人の頭骨を巡るミステリーは、ルパン3世のアニメにも取り上げられるほど興味深いですね。実は、北京原人の頭骨を必死で探していた人物がいたそうです。それは、北京原人の発掘者である賈蘭坡です。周口店で原人の頭骨を発見した経緯は、ミラクルでまさにゴッドハンドです。以下は北京原人とともに歩んだ人生 古人類学者 賈蘭坡氏をしのぶからの引用です。


 1936年、地質調査所は北京の南西にある周口店で、人類の化石を探す発掘作業を続けていた。しかしわずかばかりの人類の歯以外は、なんら収穫はなかった。もし今後六カ月以内に重要な発見がなければ、米国のロックフェラー基金は、周口店発掘に対する資金援助を中止することになっていた。
 人類の化石は見つからず、もう手の打ちようがないと関係者たちが考え始めた時である。10月22日午前10時ごろ突然、賈蘭坡は二つの石の間に、人類の下顎骨が露出しているのを発見した。彼はすぐ地面に腹ばいとなり、慎重にこれを掘り起こした。この重要な発見で、彼の確信は深まり、引き続き発掘を続けることが決定された。
 さらに11月25日午前9時半、同僚の張海泉が、発掘したクルミ大の骨のかけらを小さな手提げ籠に放り込んだ。これを見た賈蘭坡が「それは何だ」と尋ねると、張海泉は「ニラです」と答えた。「ニラ」とは「砕けた骨片」を意味していた。だが賈蘭坡がこれを手にとって見た。そして驚いて思わず叫んだのだ。「これはヒトの頭蓋骨じゃないか」

 「生涯で最も気にかかっているのは、なくなった北京原人の頭蓋骨のことです。それがいつも私を悩ませているのです。……いまもってその行方がわからないのは、本当に悲しい」。彼の書斎には、60年にわたって北京原人の化石を探し求めたすべての資料がファイルに保存されており、そんな言葉を残してこの世を去っています。

 北京原人の発見は本物のゴッドハンドを持った人物による発見だった訳ですが、世界史に汚名を残してしまった事件がピルトダウン人事件です。以下は法医学鑑定の話題からの引用です。

 
1856年にネアンデルタール人の化石が発見されて以来、進化論に基づいて現在の人類と類人猿との共通の祖先との間を結ぶ猿人の存在が予測されたが、なかなか化石が発見されず、ミッシング・リンク (失われた環) と呼ばれていた。特にイギリスの古生物学者たちはイギリス本土でその化石が発見されることを熱望していた。

 1908年にイギリスはサセックス州のピルトダウンの砂利採石場で作業員が2つの頭蓋骨 (頭蓋冠) 片を発見し、弁護士でありアマチュアの考古学者でもあったチャールズ・ドーソンに渡された。ドーソンは調査を続け、1912年にいくつかの骨片を英国博物館の地質学部門の主管であったアーサー・スミス・ウッドワードのところへ持ち込んだ。ウッドワードはドーソンとともに採石場を再調査し、さらに石器や動物の骨の化石とともに2本の臼歯 (奥歯) のついた下顎骨を発見した。頭蓋冠と臼歯は人間のもの、下顎骨は類人猿のものに類似し、人間の脳と猿の顎をもつこれこそがミッシング・リンクである猿人の化石である (しかもイギリスで発見され、イギリス人の祖先として相応しい大きな頭脳を持っていた!) と学会で発表してセンセーションを巻き起こした。その猿人はイオアンスロプス・ドーソニという学名が付けられたが、一般には発見場所にちなんでピルトダウン人と呼ばれた。翌1913年にはテイラード・ド・シャーディン牧師 (同じくアマチュア考古学者) がピルトダウン人の犬歯を発見した。

 発表当時は、頭蓋骨の大部分が失われているため頭蓋冠と下顎骨が一致するかどうか判定できないこと、化石の詳細や年代、発見状況があまり明らかにされなかったことから懐疑的な学者も少なくなかったが、1917年にウッドワードがさらに頭蓋骨の化石を発見して彼らの反論を封じ込め、ピルトダウン人学説は当時の学界の権威であったグラフトン・エリオット・スミス、サー・アーサー・キース、ウィリアム・J・ソラスらにも受け入れられ、確固たる人類学的事実と認識された。

 この後、北京原人の化石の発見などにより、脳の発達は進化史上かなり後期に起こったことが判明し、ピルトダウン人の発見が唯一の矛盾例であり、フッ素年代測定法や古生物学者、解剖学者により捏造が発覚します。そこで、問題になったのが、犯人が誰か、また何が動機なのかということです。そこで、犯人の候補の一人とされたのが、名探偵シャーロック・ホームズの産みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルだったのです。コナン・ドイル説を唱えたアメリカの人類学者であるジョン・ウィンスローその根拠は以下だそうです。

1.ドイルはストーニーハースト・カレッジの学生だったが、自然史の偽作者と知られるチャールズ・ウォータートンも同大学に通っており、ドイルは疑いなくウォータートンの偽作に通じていた。
2.ドイルは化石が発見されたピルトダウンから7マイルのところに住んでおり、ドーソンもウッドワードも見知っていた。偽物の化石を埋める機会が何年もあった。
3.ドイルは医者であり、偽の骨を作る知識があった。オランウータンの骨をくれそうな人物とも交流があった。
4.ドイルは原始人に興味があり、1912年に出版されたSF小説「ロスト・ワールド」(ドイルはホームズもの以外に、歴史小説やチャレンジャー教授を主人公とする一連のSF小説も書いており、映画にもなったロスト・ワールドはその代表作である) や未発表の論文「人類の起源」を著している。
5.ロスト・ワールドの舞台となったアマゾン奥地の高原地帯はサセックス州に似ているし、登場する猿人はオランウータンに似ている。主人公たちがロスト・ワールドから脱出する途中の洞窟内で使っていたたいまつはアローカリアという木でできていたが、当時、ピルトダウンに通じるドライブウェイの並木がアローカリアだった。
6.動機は降霊術を批判していた世間に対する増悪である。ドイルが晩年降霊術にのめりこんでいたことは有名である。

 あのコナン・ドイルが捏造事件?と思うのですが、現在、真犯人は古生物学者のマーチン・ヒントンだとほぼ確定されています。その動機は金銭問題だと言われています。いつか北京原人の頭骨を巡るミステリーもピルトダウン人事件のように明らかになるのでしょうか。

参考サイト
北京原人とともに歩んだ人生 古人類学者 賈蘭坡氏をしのぶ
ピルトダウン人骨捏造事件

10月 23, 2004 ニュース |

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